うそをつくほど平気に
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7 年 10 ヶ月 前 #63
: nevadahigaishanet
旧掲示板より転載
2016年10月25日 5:48 pm 金持ち名無しさん さんが投稿
「うそをつくほど平気に」、不正直に脳が適応 研究
だそうです。
headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161025-00000022-jij_afp-sctch
2016年11月5日 10:01 am まえだまえだ さんが投稿
うらおもてのギャップが酷すぎ
2016年12月7日 10:12 pm 通行人A さんが投稿
検索したらこんなのが引っ掛かった
pastie.org/pastes/y/2015/11/page/1262
週刊宝石1988年11月4日号
和田元理事官は大阪出身。高校まで大阪市東区にいた。その後、東京の専門学校に通い、52年国家公務員試験初級に合格。翌53年4月外務省に入省してからは、モントリオール領事館、ザイール大使館などを経て59年6月からジュネーブ代表部に勤務していた。
外務省関係者によれば、彼は口八丁手八丁で、「株は中学時代に、不動産投資は大学で覚えた」とよく言っていたらしい。知人たちには「ボストン大学出身」と経歴を偽っていたとか。
和田元理事官は、妻が日航の元スチュワーデスだと言ったり、「銀座に店を出した」などと大言を吐いたりして「ウソとホントの区別がつきにくかった」ということである。
大阪ではこんな声も耳にした。「和田氏にはかなりの借金があって、マスコミはおろか、暴力団からも追われているという噂だ。しばらく顔を出さないつもりじゃないかな」
サンデー毎日 1988年10月30日号「外交特権使って財テク失敗の厚顔無恥」
毎日新聞の「特ダネ報道」によると、問題の財テクが始まったのは1960年のこと。当時、在ジュネーブ代表部にいた和田英之・元三等理事官(30)が開設した私設ファンドだ。
和田元理事官の名前をとって「ファンドHW」と名付けられた財テク組織はエリート外交官はじめ、民間人まで参加して約三億円を運用していたという。翌1961年には早くも破城してしまったらしい。
和田元理事官は1962年3月、外務省を辞めている。そして同年10月の「ブラックマンデー」となるのだが、もっとも、和田元理事官にとっては、これがいい口実になったようで、返済延期の理由にこの大暴落を使っているという。この不祥事に和田元理事官は「今の時代、政治家も外務省、大蔵省の職員もみんなやっている。公務員が株の投資や信用取引をしてはいけないという規定もない」と語ったという。こういうのを、公務員でない人間の間では、開き直りという。
2016年10月25日 5:48 pm 金持ち名無しさん さんが投稿
「うそをつくほど平気に」、不正直に脳が適応 研究
だそうです。
headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161025-00000022-jij_afp-sctch
2016年11月5日 10:01 am まえだまえだ さんが投稿
うらおもてのギャップが酷すぎ
2016年12月7日 10:12 pm 通行人A さんが投稿
検索したらこんなのが引っ掛かった
pastie.org/pastes/y/2015/11/page/1262
週刊宝石1988年11月4日号
和田元理事官は大阪出身。高校まで大阪市東区にいた。その後、東京の専門学校に通い、52年国家公務員試験初級に合格。翌53年4月外務省に入省してからは、モントリオール領事館、ザイール大使館などを経て59年6月からジュネーブ代表部に勤務していた。
外務省関係者によれば、彼は口八丁手八丁で、「株は中学時代に、不動産投資は大学で覚えた」とよく言っていたらしい。知人たちには「ボストン大学出身」と経歴を偽っていたとか。
和田元理事官は、妻が日航の元スチュワーデスだと言ったり、「銀座に店を出した」などと大言を吐いたりして「ウソとホントの区別がつきにくかった」ということである。
大阪ではこんな声も耳にした。「和田氏にはかなりの借金があって、マスコミはおろか、暴力団からも追われているという噂だ。しばらく顔を出さないつもりじゃないかな」
サンデー毎日 1988年10月30日号「外交特権使って財テク失敗の厚顔無恥」
毎日新聞の「特ダネ報道」によると、問題の財テクが始まったのは1960年のこと。当時、在ジュネーブ代表部にいた和田英之・元三等理事官(30)が開設した私設ファンドだ。
和田元理事官の名前をとって「ファンドHW」と名付けられた財テク組織はエリート外交官はじめ、民間人まで参加して約三億円を運用していたという。翌1961年には早くも破城してしまったらしい。
和田元理事官は1962年3月、外務省を辞めている。そして同年10月の「ブラックマンデー」となるのだが、もっとも、和田元理事官にとっては、これがいい口実になったようで、返済延期の理由にこの大暴落を使っているという。この不祥事に和田元理事官は「今の時代、政治家も外務省、大蔵省の職員もみんなやっている。公務員が株の投資や信用取引をしてはいけないという規定もない」と語ったという。こういうのを、公務員でない人間の間では、開き直りという。
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